今月は絵本の紹介では愛情月間とさせて頂いていますが、写真でも、家族の想い、平和への思いをお届けしたいと思います。
11/3、港が見える丘公園にバラを見に行きました。そこに「カズエ」という淡いピンクの「カズエ」というバラがありました。
みなさんはこの「カズエ」という名の薔薇をご存知ですか?
今から31年前1977年9月に横浜市緑区(現青葉区)荏田町の住宅地に米軍機が墜落する事故がありました。
この事故に巻き込まれた和江さんと子供二人。二人のお子さんは事故の翌日に、大やけどを負った和枝さんは4年半後の1982年に息を引き取りました。
和枝さんのお父さんの土志田勇さんが悲劇を忘れまいと薔薇生産者に依頼して生まれた平和を願う“愛”のバラです。
土志田勇さんは、「このバラをたくさんの人たちが育てて私たちの平和への思いを広げて欲しい。二度と娘のような犠牲者を繰り返さないで欲しい」の言葉を残して今年の一月に亡くなられたそうです。
1977年の米軍機墜落事故経過については「
パパママ・バイバイ 横浜市緑区の米軍機墜落事件」に詳しく載っていますが、概要だけ掲載します。
1977年9月27日、午後1時20分に厚木基地を飛び立った米軍のファントム偵察機が、横浜市の住宅地に墜落。9人の死傷者を出す大惨事となりました。
米兵パイロット2人は墜落前にパラシュートで脱出。まもなく到着した自衛隊の救難ヘリに乗り込み無傷。
墜落現場の住宅地は火の海となっていたが、自衛隊ヘリはそのまま基地へ戻っていった。そして後も日本の警察の現場検証は認められませんでした。
大やけどを負った男の子2人は、病院のベットで、包帯でぐるぐる巻きにされ、裕一郎君(当時3歳)は「パパママバイバイ」と言い残し、康弘君(当時1歳)は「はとぽっぽ」の歌を歌いながら、翌日、相次いで息をひきとりました。
「裕くんと康くんは他の病院で頑張って治療を受けている」という言葉を信じ、それを励ましとして厳しい治療を乗り越え少しずつ癒えてきた和枝さんが愛児の死を知らされたのは、事件から1年4カ月後のことでした。
全身やけどを負った和枝さんは子どもの分まで生きて事故の証人になると苦しい治療に耐えたながら、度重なる治療についての訴えや抗議の電話を国に対して行ないましたが、事故の真相もあきらかにされず、さらに国から精神病者扱いされ、家族にも適切な説明もしないまま、精神病患者だけを収容する国立武蔵療養所に転院を強要されました。
転院して間もなく、事故から4年4ヵ月後の1982年1月26日、31歳の若い命を閉じました。
偶然、3輪のカズエを撮影していました。
亡くなられた母子3人の姿のようです。
遺族が寄贈し1985年に設置された母子3人をモデルにした「愛の母子像」が港の見える丘公園にあるんですね。知らなかったので見てきませんでした。残念。
バラは週末までは大丈夫と思われますので、是非足を運んでバラとこの像を見学してください。
いつか戦争兵器の無くなる日が来ることを願って。
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posted by ブドリ at 23:58
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