そしてみどりの日は「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ。」という祝日なんです。
皇居東御苑で撮影したこの写真、私が何を伝えたいかわかりますか?
写真の左奥に棒が立っている部分と、右側に白い札が見えますか?
左側はカタクリの花が生育する場所、右はえびねが成育する部分です。
同じ皇居東御苑で撮影したこの写真も同じなんです。
この通り道のようになっている部分の奥にはキンラン、ギンランが咲いています。
どちらの写真の草の成長が悪い部分は、私がここに通い始めた数年前は管理のための極細い筋のようなものでもっと草が生えていたように思うんです。つまり数年のうちにここは草が生えにくくなっているんです。それはなぜでしょう?
正解は、花を見たさに踏み入る人がたくさんいるからなんです。
たくさんの人が次々と柔らかだった地面を踏み固め、草などの植物が成長しにくくなってしまったんです。
このことはこの部分だけの問題ではありません。草が茂っているところも、奥に咲く花見たさや、単にショートカットするために踏み入ったりすることで明日はどうなるかわからない状況です。
踏み固められた地面の下には地上に顔を出せなくて死滅した植物や生き物がどれだけあるのでしょう。
亀戸天神に藤を撮影に行ったとき、植え込みに入っているおばさんに注意すると「立ち入り禁止なんて書いてないじゃない!」と開き直られました。注意書きが書いてなければ何をしてもいいのでしょうか。
植え込みには小さな草花も植えられてるのに。
同じようなことはここだけでなく多くの野山で今、進行している事です。
富士山の麓の青木ヶ原樹海ではサバイバルゲームや樹海を歩いて迷子にならないようになどのために木々の間に紐やテープが張られていて、使用後も放置されていたり、樹間を歩き回りすぎてコケなどが生えない場所が増えたりと生態系に影響を及ぼしかねない事態になりつつあるそうです。
昔、ありとあらゆるものに八百万(やおよろず)の神々をみて尊んできた日本人。使い捨て文化が進み、神々を見なくても物を大事にする気持ちが薄れています。自然に対する畏敬の念も薄れてしまっていますね。
自然は使い捨ててしまっては自然に元に戻るためには容易なことではなく、莫大な手間と時間が必要になるんです。
それを利用する人のほんの少しの思いやり一つで防いでいくことが出来るんです。
見えるものだけがあるのではなく、見えないところにもたくさんのものがあるのです。小さな生き物の命があり、生命の輪があり、それを守ろうとする人たちの力があるんです。
私たちの心無い行動でこれらの輪を途切れさせないことが大切だと思います。
5/4はゴールデンウイーク真っ只中で休みを満喫することに一生懸命なのでしょうが、バーベキューをした後に決められていない川岸や草地、山林内にゴミや網が不法投棄されているニュースも毎年のように聞きますね。
すべて同じことです。
自然に優しくなることは、回りまわって人に優しくなることに繋がると思うんです。
「テストの成績が下がった、さぁ大変だ」の前に、自然に優しくなる教育も必要な時期なのではないか。
人が暮らす場所から野山までの距離が非常に近い国、日本。
日本全体が今一度、自然との接し方を見つめなおすことが大事なのではないでしょうか。
きっと、人が住みやすい国へと向かっていくと思うのです。
参加しています。もしよかったら1日1クリックお願いします
身近な自然からの便り |
参加しています。もしよかったら1日1クリックお願いします
タグ:みどりの日
【雑記の最新記事】
最近のなぎと私のお約束。
「このお花は、皆が見るんだから、採っちゃダメだよね。
「ここは皆が座るところだから、靴のまま乗っちゃダメだよね。」
「ここは皆が・・・。」
みんなの場所じゃなければ何をしていいというわけではないんですよ。
周囲を見て、見極めて、対応する自慢の息子は、プラレールの触っちゃダメに対して駄々をこねる事はあっても、自然を壊すような事は決してしません。
おもちゃがお部屋にあふれてて、ものを大切にしない子になってはしまわないかと心配しているこの頃ですが、自然を大切に思う心は、しっかりうえついていてくれてると思うのですが・・・、どうでしょう(^^;
なぎ君はちゃんと植物への接し方をわきまえてますよね。きちんと話してあげれば理解するし偉いですよ。しっかりと躾をされたなぎママさん達の努力のお陰です。
菜の花も緑色と言うほど花の成長をしっかりと見つめてるんですからたいしたもんですよ。