2008年04月17日

桜・傳通院 その1

今回は文京区小石川にある傳通院(でんづういん)の桜をお届けします。

傳通院前 傳通院前の通りから

傳通院:正式には無量山 傳通院 寿経寺(むりょうざん・でんづういん・じゅきょうじ)。小石川 傳通院とも呼ばれます。


傳通院門 傳通院入り口

応永22(1415)年、無量山寿経寺という名で開創。後に徳川家康の生母於大の方が逝去され、この寿経寺を菩提寺と定められ、於大の方の法名「傳通院殿」から「傳通院」と呼ばれるようになりました。


傳通院参道 傳通院参道 桜並木

傳通院には家康公側室の於奈津の方(於夏の方・清雲院)、2代将軍秀忠の長女・千姫(天樹院)、3代将軍家光の正室・鷹司孝子(本理院)などが葬られ、他にも徳川家関連の墓があります。


傳通院本堂 傳通院本堂

昭和20年(1945年)5月25日のアメリカ軍による空襲で小石川一帯は焼け野原となり、傳通院も江戸時代から残っていた山門や当時の本堂などが墓を除いてすべて焼失し、現在の本堂は昭和63年(1988年)に戦後2度目に再建されたものです。


傳通院鐘楼堂 鐘楼堂

鐘楼堂は戦火によって消失し、昭和41年 第七十三世大河内隆弘上人によって再建されました。
吊られている梵鐘は戦火を免れ、天保10年(1839)第五十六代梵誉上人の時代のもののようです。


 清河八郎の墓(法名:清秀院忠正明義居士)
マウスオンでご覧下さい。

新選組の歴史、此処に始まる。
新選組の前身、浪士組発祥の地。
幕末、浪士組の募集が行われ、文久3(1863)年2月、近藤勇、土方歳三たちは伝通院の塔頭処静院に集まりました。浪士組234人は山岡鉄舟らに引率され、京へ旅立ったのです。
浪士組主宰者の清河八郎の墓所もここにあります。
自ら画策して裏切った徳川家の菩提寺に葬られているのです。


「過ぎし日の 思いで語る 桜かな」

「ひとひらの 桜に重き 歴史あり」


1回で終わる予定でしたが、もうちょっと紹介したいものがあるので2回に分けさせていただきます。

参加しています。もしよかったら1日1クリックお願いします
   にほんブログ村 写真ブログへ

にほんブログ村 トラックバックテーマ 身近な自然からの便りへ
身近な自然からの便り

posted by ブドリ at 23:03| 東京 霧| Comment(2) | TrackBack(0) | 桜  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
桜がブドリさんと一緒に、悲しい歴史を辿っているかのように感じられます。
いつもなら華やかな桜が、少し淋しそうに見えるんです…。
夕暮れ時の撮影なのかなって、思ったりもするんですけど(^-^;)

一枚一枚、じっくりと見せて頂きました!
Posted by MAI at 2008年04月18日 09:10
悲しい歴史に感じられちゃいましたね。
それは私の心がにじみ出ちゃったかなぁ。
この写真はいろんなところを回って日暮れ間近だったので、人もいないし寂しげだったかもしれませんね。
でも、ちょっと歴史を振り返るといろいろな視点から桜を見られますよね。じっくり見てくれてありがとうございます。
Posted by ブドリ at 2008年04月18日 20:37
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/93683902
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
鉄道グッズの通販サイト【グッズステーションtraindo】