ちょっと休憩し、まだ時間が早いので今度は自転車で近所の紅葉スポットへ。
向かった先は目黒区内の円融寺。
円融寺(正しくは圓融寺)
天台宗の慈覚大師により嘉祥元年(848)に「妙光山法服寺」として創建されたと伝えられます。弘安6年(1283)日源上人により、日蓮宗に改宗され「法華寺」と称したのですが、江戸時代になって教義の不受不施派寺院(法華教信者以外からはお布施を受けない)として幕府の法要等には参加しなかった為に厳しい弾圧を受け、元の天台宗に戻されて「経王山円融寺」と改め比叡山延暦寺末寺となりました。
正式には「経王山 文殊院 円融寺」
幕末に翻弄された会津藩主松平容保が息を引き取った自宅(豪邸)がこの付近にあったそうです。
仁王門が佇み、御神木の大きなイチョウの木が色づき、その脇にモミジが色づいています。
仁王門から真っ直ぐ、正面に釈迦堂があり、その奥に本堂である阿弥陀堂があります。
カーソルを乗せてご覧ください。
阿弥陀堂の前にあるイチョウの木も色づいていました。よくみると、よく日に当たる側が黄色、当たらない側が緑なのがわかります。
カーソルを乗せてご覧ください。
仁王門の脇にこじんまりとモミジも植えられています。ちょうど日が差していてイチョウもモミジも燃えるように綺麗でした。
仁王門と紅葉をカーソルを乗せて、クリックしてご覧ください。
仁王門脇に止めてあるのがマイカー(自転車)ですけど、わかりますか?
上の写真でわかりましたか?御神木に垂れ下がる乳状下垂御神木のイチョウの木や阿弥陀堂前のイチョウの木にはしっかりとした気根が出来上がっていました。気根を乳房に見立て、子宝に恵まれるよう、あるいは安産のシンボルとしてあがめられることもあります。
この気根はラクウショウなどに見られる気根と同じですが、ラクウショウは下から上、イチョウは上から下に伸びます。
これをよく見るのは寿命の長い木・長生きしている木なんですよ。
寺社にあるイチョウの木はあまり伐られることがありませんからよく見かけると思います。
そう考えるとこの垂れ下がる気根はやはりありがたいものだと思います。
カーソルを乗せてご覧ください。
円融寺
東京都目黒区碑文谷1-22-22
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確かに確かに乳房のように見えますよ〜!!
安産のシンボルとは!!
お参りに行かなくてはですね〜♪
神宮の外苑銀杏並木本に数箇所の枝に見かけて以来とても気になっていたものです。
この寺の近くに住む伯父夫婦を訪ねるたびに向かいにある寺へ墓参りに行ってましたがついぞこの円融寺には足を踏み入れる機会がありませんでした。これだけの風情のあるところとは〜機会を見つけて参拝にでも行きましょう。なぎママさんの安産祈願も一緒にいってきますね。
面白いですね。
この木も、相当な大木のようですね。
いろんなことを見てきたのでしょう。。。
そうなんですよ、イチョウの気根は安産おシンボルなんです。
室生神社にイチョウの木はないんですか?
あそこも由緒正しい神社なのでイチョウの木があれば気根が見られそうです。なぎくんとお散歩がてら探しに行ってみてください。
マルメロさん
神宮のイチョウ並木にも見られましたか!
気根って不思議な存在ですよね。
円融寺の近くにも行かれていたのですね。
外からみるとまさかこのようなお寺とは思いませんよね。
私は子供の頃から碑文谷のダイエーに連れていってもらうと、立ち寄ったりしていたので庭のような感じです。
是非、足を運んでみてください。
なぎママさんの安産まで願っていただきありがとうございます。
森のどんぐり屋さん
イチョウの気根をご存知ではなかったんですか。
ラクウショウの気根同様に面白いですよ。
戦争を始めたくさんのことを見つめてきた大切な木だと思います。これからもたくさんのことを見つめていくのでしょうね。
コメントありがとうございます。
目黒に40年住んでいらっしゃたのですね。
何故か松平容保が円融寺付近に暮らしていたというのはあまり知られていないんですよね。
これも偽の勅書によって朝敵とされてしまった悲しさなのかもしれません。